もう前の日記から3ヶ月経過していた。
3ヶ月なんて瞬きするぐらいあっという間。
でも覚えちゃいない。
何を書こうとしていたんだっけ?
前のを読み返さないと思い出せない。
幼少の頃、車に酔う質であった。
自ら運転するようになれば酔わなくなると説かれ、免許を苦難の末取得した。
確かに酔わない。
運転しながらゲボを吐く器用な人間など今迄お目にかかったことなど皆無である。
体を揺れに委ねるから酔ってしまうのであって、要するに自分が運転しているつもりになればよいのであるということに気づいたのが、ここ数年である(遅い)。
ヒロキジーニョとの高野山珍道中は車酔いとの戦いでもあった。
何せ道は馬の腸のごとくクネクネと蛇行を繰り返し、途中で現れる分かれ道を予め確かめるために地図に目を落とす。
この動作の繰り返しが車酔いを誘発した。
運転をヒロキジーニョからボクに変更してもよかったのだが、それを行える退避場所が設けられていない。
仕方ないのでボクは助手席でエアハンドルを握り、エア運転に終始した。
するとどうでしょう。
酔いがマシになるではありませんか。
対向車はさぞかし惑わされたことでしょうね(誰も我々など見ちゃいねえよ)。
ヒロキジーニョとは淡路島、高知と2年連続で夏旅行を共にした。
両方ともアポなしの旅ではあったが、明暗が分かれた。
淡路島は宿泊施設が「満室です」の連打で、海とスーパー銭湯に浸かって日帰りで尻尾を巻いて帰阪した(こっちの方が楽しかったかもしれない)。
この度はお盆真っ最中を考慮して、高速道路は使わない高野山ツアーをチョイス。
高野山は以前から夏旅行候補に浮上していたのである。
今回は成功か失敗かどっちに針が振れるだろうか。
ヒロキジーニョとの旅行でありがたいのは車の運転をしなくてよいところである。
更にヒロキジーニョには和歌山の土地勘が多少なりともあるという。
それでもやはり予定通り?若干の修正を強いられたが、それよりも何よりも、やはり宿泊施設の確保に骨を折った。
夕刻。
湯の里と名付けられたその施設は既に満室であった。
しかし高知で学んだ我々は、ここで周辺の宿泊施設を尋ねることにした。
するとフロントのにいちゃんは資料を元に電話を掛け始めた。
4件目にして国民宿舎紀伊見荘がビンゴ。
湯の里から30分足らずで到着。
値段も安く、しかも唯一空いていた7人部屋に案内された。
ヒロキジーニョの地図によれば天然温泉のマーキング(♨)がされていたが、フロントによれば昨今の温泉の審査で、天然温泉の基準をギリギリ満たしていないことが発覚したそうで。
まあ、そんなことは些末なことで、朝晩の飯も満足のいくものだったし、施設としては◎。
コンビニで購入したワインをこっそり持ち込んで2人でガブ飲みして就寝。
お盆の時期なのにエアコン要らず。
涼しい。
翌日は九度山を訪れた。
戦国大名・真田真幸、幸村親子が幽閉されていた真田の庄がある。
3万を超える徳川秀忠の軍勢を僅か3千の手勢で手玉に取ったにも関わらず、関ヶ原の戦いで西軍に与したがために10数年もの間、幽閉されていたのである。
大阪城方の誘いを受け入れてからは、敵の監視をくぐり抜け、何日もかけて大阪城へとたどりついた真田幸村。
その心境をどうにかして計ろうとしたら、どういうワケか深呼吸を繰り返していた。
ワンポイントで六文銭がプリントされている真っ赤なT-シャツを購入。
九度山で英気を養った我々が次に向かった場所が高野山である。
九度山から車で1時間半。
それまでの静かな山道が開けたと思ったら、外国人を中心とした観光客で溢れ返っていた。
満車の嵐だった駐車場も目聡く隙間に滑り込んで準備万端。
さあ散策。
でもボクはビーチサンダル。
先行き不安。
車から降りると、マイナスイオンで満ち溢れている。
ボクには見える。
立って下さい、セイラさん!
…
またワケわからんことを。
暑さも違う。
九度山よりも更に涼しい。
ああ、寺だらけ。
なんでこんなところに寺を建てまくったのであろうか。
死ぬのが怖いからか?
それほど死と隣り合わせの生活だったのか?
縋りたい気持ち…。
思いを馳せる我々。
ララァとはまたいつでも遊べるから…。
集中しすぎて、露出している肌という肌が蚊に刺されていた。
ビーチサンダルが意外な形で仇となる。
土産屋の店先に形容し難いゆるキャラ「こうやくん」が佇んでいた。
どこがゆるキャラやねん。
その店の形容し難い豆腐ソフトクリームを舐めながら帰宅。
そんな不気味なソフトクリームを買っておいて、肝心の土産を買うのを忘れていた。
こうやくんが不気味すぎるせいだ。
高野山はいいところではあるが、外国人が多すぎて違和感に苛まれたことは否めない。
時期をずらせて訪れることをお勧めする。
さあ次回は、よしゆきロビンソン第二の故郷、愛媛編。
2ヶ月前に行ったんやけど。