金曜日、我が母校I田高校が万博球場で1回戦を突破した。そこらへんにある公立高校なので1つでも勝つのは大したもんだ。よくやった。甲子園に1歩近づいたのだ。
実はロビンソン、野球部だったのよ。4日間。
でも、これでヘタレと呼ばないで。理由があるのよ。
中3ってのは悩む時期でしょう。そうです、受験。
ロビンソンもそのクチである。
私立O手門学院は受かった。でも行きたくない。金がかかるし、制服がボタンではなくチャックだから。
これでは、卒業式のとき
「あのぅ…。制服の第2ボタン下さい。」
というカワイコちゃんの名セリフと共にボタンを引きちぎられる状況が奪われるではないか。そんなんは絶対嫌や。
公立の候補は3つ。
学力的に少し背伸びすることになるが、家から近いI田高校。
自分の学力に最も適しているし、家からも近いが、野球部がないM面高校。
楽勝で合格できるし、親父の母校でもあるが、家から遠いS塚高校。
まず、野球部がないM面が脱落。
で、残った2つ。
ここでロビンソン、カッコつけたくなり、I田を選択。
そして、なんと見事合格である。カッコいいのだ。
入学し、間もなく実力テストである。この実力テストを終えたその足で野球部に入部。既に丸坊主。ヤル気満々である。
3日後、先だっての実力テストが返ってきた。
愕然とした。持ってたシャーペンで目を潰したくなるような数字である。
勉強とクラブの両立は難しいと判断し、入部から4日で退部。泣きながら撤退である。
勉強に生きる…はずだった。
さすがに成績は上がった。真ん中辺りでウロチョロしてた。
2年になり下がってきた。
競馬を覚えちゃったのよね。
そして、卒業時にはおケツに火が点いていた。
バトンでも申し上げたが、現国で赤点。
日本人のくせに現国で赤点って。
先生の温情措置により留年は免れた。
もしクラブを続けていたら
もしかしたら、両立できてたかもしれない。
もしかしたら、もっと悲惨な成績で留年してたかもしれない。
こればっかりはわからない。
でも確かなことが1つある。
いづれにせよ、制服の第2ボタンを引きちぎられることなく卒業しただろう、このヘタレは。