December 16, 2005

A・KI・RA

先週だったか、古館伊知郎と小池栄子がMCで、最近やたらめったら増殖しているクイズ番組があった。
視聴者も参加できるこの番組はヒトの脳みそにスポットを当てていて、解答から得られるデータから、左脳人間なのか、右脳人間なのかを判別してくれるという。
偶然チャンネルをひねったら始まったので、いっちょチャレンジしてみた。
始めは左脳を使う問題からである。
単に左脳といっても、左脳の前、真ん中、後ろと調べていく。

すいすい答えるボク。
天才なんじゃないかと思っちった。
予定通り左脳はほぼ完璧といえる内容で終了。
この調子なら右脳もちょちょいのちょいやなと安心していたらズッこけた。
右脳問題がわかんねえ、わかんねえ。
イライラして途中でやめちった。
というわけで、ボクは普通に歩いてても左の方へ曲がっていってしまうほど、極端に左脳に偏った人間であることが、図らずも右脳問題リタイアにより判明した。

左脳は記憶とか計算とか何かそんなことを司っていて、右脳はイメージ、絵とか何かそんなのを司ってるらしい。
相対性理論で有名なアインシュアタインは右脳が異常に発達していたらしい。
逆に左脳は異常に未発達。
ようするに彼は、右脳で物凄い、とんでもない発見をしてるのに、左脳が未発達なため、それを上手く言葉で表現できなかったということらしい(「らしい」ばっかやな)。
それはそれで、悲惨だ。
やっぱりバランスよくがいいと思うのであるね。

将棋の羽生名人は対局中には右脳と左脳をバランスよく使っていると、情熱大陸でやっていた。
そう、将棋や麻雀は右脳を活性化させるのにもってこいなのだと、よく耳にする。
ボクがその2つを嗜んでいるにも関わらず、一向に上手く、強くならないのは、先のクイズの結果で明らかだ。試しに一度、お手合わせしませんか?
奇抜な発想とか、閃き能力が著しく欠けているのだ、ボクは。
あの長島茂雄氏が将棋が強いというのも、何かわかるような気がする。
閃きがユニフォーム着て、野球やってるようなもんやからね。
確かに、野村克也氏のように数々のデータを駆使し、緻密な野球をすることも重要だが、ときには発想の転換というか、そんなのが必要になってくることもある。
「プロ」という、いくところまでいったレベルの人たちが、さらに壁を突き破るのに、型に嵌っていてはイカンのだ。

入団当時の監督に、そんな変な打法は直せ!!と言われても頑なに自分の理論を貫いて、2軍で冷や水を飲まされ、埋もれていた鈴木一朗。
そんな鈴木一朗を、なかなか面白い選手がいると目を留め、登録名をイチローとし、起用した次の監督。
大打者イチローに「唯一の師」と言わしめた監督。
次の日の先発投手をビールの飲み比べをさせて決めた監督。
猫の目打線と呼ばれ、毎試合毎試合、打線を組替えて試合に挑んだ監督。
オリックス戦を友人4人で観戦しにいったとき、その日の7番バッターを当てようぜとなり、4人全員大外れで大爆笑した。
試合中も、試合前も飽きさせない野球を魅せてくれた…。

壮絶すぎる。
無理してたんですね、仰木監督。
ダメだ、涙が止まらない…、チクショー。

今日は右脳と左脳がグチャグチャになるまで飲むぞ!!

Posted by foe1975818 at 15:31│Comments(6) 野球 
この記事へのコメント
ついこの前までオリックスの監督を務めてたのにびっくりしました。
監督としての手腕も凄かったけど、イチローを世の出したのが監督の最大の功績でしょうね。
ご冥福をお祈りしますとしかいえないですね。
Posted by クロフネ at December 16, 2005 21:02
3
二年前、代打逆転満塁本塁打男の藤井康雄の引退試合を見に当時のYahoo!BBスタジアムに足を運んだ。十年前のリーグ制覇、翌年のシリーズ制覇の影の立役者藤井の花束贈呈は仰木氏だった。二人は抱きあった。相手は近鉄だがみんなが涙した。震災から十年。氏は故郷福岡でひっそり息をひきとった。相手に弱い所を見せないという野球哲学でファンに最後まで仰木マジックを貫いたんだろう。どうかゆっくり休んで下さい。
Posted by 背番号70 at December 17, 2005 10:21
クロフネさん
いや、ほんと、土井が監督を続けていたら、イチローは埋もれたまんまだったんですよね。
一切、しんどそうな感じには見えなかったんですけどね。
早すぎるというか、突然すぎて残念です。


Posted by よしゆきロビンソン at December 17, 2005 21:19
背番号70さん
多分あなたはオレの知り合いだと思うが…。
仰木さんを嫌う人っていなかったんじゃないか?
人間としても素晴らしかったんだろうなあ。
だから、敵味方関係なく涙したんだろう。

ああ、また1人、個性あふれる人がいなくなった。
Posted by よしゆきロビンソン at December 17, 2005 21:25
LENAは特別野球に詳しくもないし、むしろ無知です。
したこともないし、見に行ったこともないのでルールもわかりません。
でも、仰木監督は知ってました。
車の中で訃報のニュース速報を聞いて、失礼ながらお顔は全く浮かびませんでしたが、悲しくなったのは事実です。

プレーの天才、指導の天才がいるのなら、仰木さんは指導の天才だったのではないでしょうか?
監督をされるからにはもちろんプレーでも大きな記録や結果をお持ちだったのでしょうが、偉大な選手なら監督としても偉大なはず、というのではないのはLENAにもわかります。

ジャンルは違うとしても、同じ指導者、そして偉大な指導者が亡くなられたことが心より残念です。
Posted by LENA at December 17, 2005 22:32
LENAさん
仰木さんは、選手時代は特に凄い記録を持っていたわけではないんです。
レギュラーではありましたが、縁の下の力持ち的なポジションだったと思います。
監督になったのも、コーチを20年程務めてからなんで、遅かったですね。
選手時代に出会った三原さんや、コーチ時代に出会った西本さんに仕えて、仰木さんの監督のスタイルは出来たんじゃないでしょうか。
長所、個性を伸ばすのに長けた人だったと思います。
一緒に野球をした人は楽しくできたのではないでしょうか。
それでまた、野球以外のところでも楽しい人だった。
残念でなりません。
Posted by よしゆきロビンソン at December 18, 2005 00:59