死刑の形骸化が叫ばれている。
死刑執行の許可する判をつかないという職務放棄を犯すとんでもない法務大臣が役に就いたりして、死刑判決が下っても即座に死刑執行がなされるわけではない。
現在、牢獄で暮らす死刑囚は100人を超えたとか。
法務大臣が判をつかない限り、死刑囚は死刑執行されず、飯を食い、水を飲み、「生き続ける」。
こんな体たらくなら、死刑廃止でいいんじゃないか?
ふと頭を過ぎる。
この思いに拍車を掛けるのが、税金が被害者よりも殺人鬼を手厚く保護するために多く注ぎ込まれている現状。
温厚なボクでも我慢ならない。
仮に諸外国のように終身刑が採用されても、とどのつまりは囚人が息絶えるまで税金が投じられてしまうワケだから「税金の無駄遣い」の根本的な解決には至らない。
税金を極力費やさず、犯罪を犯した人間をきちんと懲らしめ、尚且つ死刑反対論者を黙らせる刑を新たに考案せねばならない。
そこで、身も凍るとある刑を考案してしまったのだ。
その名も「放置刑」。
まず、刑務所内に穴を掘る。
この作業を担当したい企業は、入札制度で公募する。
どんな穴か?
大体深さ20m、半径5mの円柱状でステンレス製。
この穴を覆うがっちりとした蓋も不可欠。
一種の超頑丈で巨大なゴミ箱である。
放置刑を言い渡された蛆虫たちは、次々とここへ放り込まれる。
放り込むときに死んでしまったら自己満足集団の人権団体が煩いので、ロープを伝って裸で降りさせる。
降りる事を躊躇している場合、ロープを切断する。
で、あとは知らん。
放置だ。
勿論、餌など与えない。
放置刑囚たちが、その寸胴の中で血みどろの争いを繰り広げる。
誰が生き残るのか?
無駄な力を振り絞り、協力して必死に逃げ出そうとしているのか?
それとも…。
うわあ、これはえぐいですぞ。
勿論、男女は別にしなければならないので、穴は2つ必要となる。
同じ穴に一緒に放り込んでしまったら、そこで罪のない子供が生まれ、また殺されてしまうかもしれないから。
被害者はこの様子を、蓋に設置された窓から高みの見物をできる権利が与えられる。
この刑が採用されることにより、無期懲役などという釈放が確約されている刑も必然的に廃止に追い込まれる。
放置刑ならば無駄な税金は、穴の掘る作業だけで済む。
おそらく四半世紀に1回も掘れば、放置刑囚が溢れ出すことはないだろう。
殺すワケではなく放置するところまで妥協したんだから、死刑反対論者にもこれで手を打ってもらうしかない。
犯罪者の「人権」を持ち出す連中はお話にならない。
「人権」なんかよりも遥かに尊い「命」を奪った殺人鬼とそれに与する弁護士連中に、人権を主張する資格など元より与えてはいけないのである。
ま、現実味のない話はここまでにして。
本村さんはきっとこういうことではないんでしょうね。
もし死刑判決が下されなかった場合、本村さんは自らの手で復讐することを明言している。
これは誰も止めることはできないし、止めてはいけない。
カウセンリングで更生できるなら理想だ。
だが現在の日本ではカウンセリング技術は発達していない。
ならば死刑は必要だ。
しかも刑確定後、即、執行を。
宅間守はあっという間に執行されたではないか。
100%更正可能なカウンセリングが開発されたときに初めて、ボクは死刑反対論者に回ろう。
そんなカウンセリングなど永遠に開発されないだろうが。
あの鬼畜に付いている21人の弁護士連中も、精神年齢が12歳だったとか、殺意が無かったとか、時間と金の無駄遣いの極致とも言うべき鬼畜の死刑回避をダラダラとホザく前に、年間3万人以上にも上る自殺者を持ち前の屁理屈を駆使し、説き伏せて救ってやれよ。
そっちの方が、よっぽど世の中のためになる。
因みにボクの精神年齢は5歳でちゅ。