たとえ声色が似ていなくとも、癖や仕草、口調が似ていれば、それは立派な物真似であるというのが、ボクの物真似定義であり、そんな芸人を見るにつけ、ボクのツボは激しく刺激され、昼夜を問わず笑い転げるのである。
ご近所さん、ごめんなさい。
「あどで〜、んとで〜(あのね〜、うんとね〜)…」
子供の頃の貴乃花をチョイスした時点で、バナナマン日村は勝ち。
「花田勝さんは〜、手強いんですよ〜。」
このフレーズを抽出した時点で、松村邦洋の勝ち。
少し前の記事で採り上げた「ほっしゃん。」の物真似をする芸人も然り。
新たな物真似を発掘する芸人が現れる度、彼らの着眼点、観察力に舌を巻く思いである。
ダウンタウンDXでも「人の癖」に着目したコーナーが立ち上がっている。
見ていて実に楽しいコーナーである。
だが、一たび「人の癖」という魔物が気になってしまうと、肝心の話の内容が頭に入ってこないことが往々にしてある。
やしきたかじんの「はっきり言うて」。
スポーツ選手におけるインタビュー冒頭の「そうですね」。
「そうですね」に加えて、ゴジラ松井や宮里藍が語尾につける「はい」などは、思わず回数を数えようとしてしまう。
必死に頭から払い除けようとしているのだが、ダメだ…。
ベッドに潜り込んだときに、秒針の音が気になって眠れなくなるのと同じ原理である。
面白くないハラスメントでTV画面を賑わせているココリコ遠藤。
彼の口癖「正直〜〜」は、注目されてからピタっと聞かなくなってしまった。
ラガルさんによれば、「ほっしゃん。」も、物真似されてから「ビックリしますよ」を言わないよう心掛けたとのこと。
口癖を物真似されるのは、芸人としてあまり良い心地がしないのだろう。
それは、自身の語彙や表現の乏しさを露呈していることに繋がりかねない。
確かに、半分素人時代のコージー冨田が、「笑っていいとも」でタモリの物真似を披露した時、腹を抱えて笑った記憶が鮮明に残っているが、タモリは露骨に本気で嫌がっていた(客も受け入れてなかったけど…)。
物真似される気持ちってのは、物真似されないと汲み取れないのだろうか?
ボクら仲間内でも物真似しあうが、ボクはあんまり物真似されないから嫌な気持ちというのが解らないのかもしれない。
どんどん行ってほしい。
特徴がないとは思えんが…。
続きを読む