March 21, 2007

想い出のほかに何が残るというのか

駅のあちこちでパリっとした制服を着用したガキどもが妙に仰山佇んどるなと思ったら、卒業式シーズンだったのであるね。

ボクの小学校時代の卒業式は全員同じ中学に進学するので込み上げる感情もゼロだったし、中学の卒業式は翌日に大勝負の公立高校受験が控えていてそれどころではなかったし、高校の卒業式は浪人決定で浮かなかったし。
大学の卒業式は唯一覚えている。
前日に友人H宅で彼とピサロの手によって人生初の茶髪に仕上げてもらい、卒業式は我々数人だけスーツじゃなくて浮いていたし。
とどのつまり、卒業式自体はそんなに思い出には残っていないわけである。
そりゃあね、昨今の卒業式みたいに飛び入りでGacktが歌いにきたりとかならいろんな意味で思い出にも残るんやろうけど。

卒業式に向かうガキとは全く対照的に、ヨレヨレの服を身に纏い、眼鏡を掛け、小粋なリュックを背負って、カメラを手にしてオドオドしている男子諸君も阪急電鉄京都線のそこかしこの駅で紛れている。

男子諸君は「鉄ちゃん」、所謂、「鉄道オタク」に分類される方々なのは即座に認識できたが、彼らが駅の端っこに陣取ってシャッターを押しまくるのは、主に新しい車両が運行される時のはず。
今週はやたらと目についた。
なんでだろう?と思案していたら、そう、京都線のダイヤが大幅に変更されたことに伴い、新に「準急」が運行されることになったのだった。
鉄ちゃんはこの「準急」をコレクションとしてカメラに収めたいようだ。

さて、京都線を頻繁に利用しているボクに言わせると、今回の改正は「改悪」である。
まず、種類が多すぎる。
以前のダイヤは「通勤特急」「快速特急」「特急」「快速急行」「急行」「普通」。
改悪後のダイヤは「通勤特急」「特急」「快速急行」「準急」「普通」。
種類は2つ減って1つ増えているが、それでも多い。
JRのように長い路線ではないのだから、「特急」「急行」「普通」で充分事足りる。
種類が多いのは運転士や車掌に混乱をもたらし、停車位置オーバーなどのミスを誘発する。
その結果、客の目が厳しくなるという悪循環を生むだけである。
気を抜かなければ全く問題はないだろうが、問題点はまだある。

停車駅も大幅に変更されたのである。
「特急」が「淡路」に停車するようになったが、これは止まらなくていい。
「長岡天神」も然り、「茨木市」も然り。
「特急」が止まりすぎてどうする。
淡路に関してはホームが狭いが乗り換え駅として乗客が溢れて危険だから、それを特急停車で軽減させようとの策なのだろうが、それを「急行」が補えばよいのだ。
その「急行」が消滅してるけど…。
準急の停車駅の設定もようわからん。

今回のダイヤ変更の裏には乗客の声も然ることながら、平行して走っている「JR」との兼ね合いが考えられる。
客をどのようにして取り込むか。
JRの駅と阪急京都線の駅はその多くが隣接しており、JRが停車するなら阪急も停車しなければ客を奪われると懸念しているのかもしれないが、そんなことはない。
毎日乗ってる常連客は、どんなダイヤでも、結局は最寄駅から乗るのである。
敵に歩調を合わせていては、独自の色を失って魅力が無くなるだけだ。
対抗するなら、JRにはない他のサービスで対抗せねばいかん。
運賃が安くなるに越したことはないが、それが無理な状況では、たとえば運行車両の種類の縮小化、簡略化や、停車駅の「わかりやすさ」であると見る。
偶にしか乗らない人にとって停車駅の「わかりやすさ」は極めて重要なのだ。
東京で電車乗ったとき、種類が多くてどんなけ不安だったか…。
もしかしたら「わかりやすさ」がきっかけで、その客の利用する回数が増えるかもしれない。

どんな会社でも「CS」=顧客満足(Customer Satisfaction)の徹底に躍起になっている。
それどころか、東京ディズニーランドを引き合いに出し、「CD」=顧客感動(Customer Delight)の領域まで植え付けようとしている。
大変よい心掛けではあるが、それによって図に乗り、無理難題を突きつけてくる客が増殖してきているのも困ったものである。
何でもかんでも客の声に「はいはい」と上層部が安請け合いしていては、現場の人間に皺寄せが来てしまう。
夢の国と現実社会を一緒にしてもらっては困るのである。

今回のダイヤ改悪で何が一番腹立つって、ボクの出勤時間(起床時間)が「10分も」早められてしまったという超個人的な理由だ。
早朝の10分は大きいですよ。

特急や急行が停車しない駅から乗車する人たちの気持ちが漸く汲み取れた、31歳の春である。  

Posted by foe1975818 at 23:59Comments(7)TrackBack(0)