August 09, 2007

怪物

ある1人のヤクザがいる。
広島で後に組長にまで伸し上がることになる彼は結婚。

1989年4月22日。
広島市で産声を上げた次男坊はすくすくと育ち、類稀なる野球の才能を授かった。

父親から引き継いだでかい体格を生かし、竹屋小3年時に投手兼捕手として野球を始める。
国泰寺中3年時に日本代表に選出され、世界大会準優勝。
その中学時代に投手として141km/hをマーク。
シニア最速投手として全国にその名を轟かせた。
しかし意外なことに、全国の強豪高校による彼の争奪戦は繰り広げられるどころか、一斉に手を引いた。

高校側が獲得に二の足を踏んだ理由。
それは中学時代に野球と平行し、手のつけられないヤンチャ坊主だったからである。
受け入れてくれる高校を探すのに苦労したぐらいだから、そのヤンチャぶりは浮き彫りになる。
父親から引き継いだのは体格だけではなかったようだ。

各校が獲得から手を引く中、唯一、手を挙げた高校が大阪の全寮制の超名門野球部。
高野連も公認する超特待生として入学し、野球に打ち込んだ。

ここまでの彼の経緯に関しては、どこからどこまでが本当なのかは定かではない。
ここからは確実な「情報」である。

入学して間もなくの1年夏から5番打者としてレギュラーで甲子園出場。
とんでもない速さの打球でホームランを放つ一方、投手としてもマウンドに立ち、剛速球をビシバシ投げ込んだ。
2006年には大阪府大会で4試合連続本塁打を打ち、大阪府大会連続試合本塁打記録を樹立。
同年秋季近畿大会準決勝では金属バットながら前人未到の推定飛距離170mの大場外弾を放り込んだ。
2007年7月5日、練習試合で高校通算本塁打記録となる87本目のアーチを描いた。

ところが、大本命と目された最後の夏の甲子園大阪大会決勝で、まさかの敗退。
涙を飲んだ。

彼は大会を通じて長打が1本も出ない不振だった。
ボクの見た感じでは、1年から思ったほど成長していない。
むしろ退化したのではないか?
昨年、斎藤佑樹に完膚なきまでに抑えられた影響が残っているのかもしれない。
投手との二足の草鞋を履いたため、バッティングに影響が出たとの声もあるが、それは昔から二足の草鞋だから言い訳にはならない。
もっと言うならば、PL学園時代の桑田は投手、打者の二足の草鞋で成績を残している。

因みに彼のプロフィールの父親の欄は空白。
一説によれば「離婚」となっているそうだが、それも「偽装離婚」との噂は消えない。
組長だった父親はヤクザから足を洗っているとも聞く。
ヤクザを排除しようと躍起になっているプロ球団が指名に踏み切るんだから過去の清算など、身辺整理は完了しているのだろう。

高校入学時に勃発しなかった争奪戦が、今秋、各プロ野球球団によって繰り広げられるのだ。
出身地である広島カープが争奪戦から撤退している意味とは?
ボクが最も興味を惹かれるのは、プロで成功しなかった、プロを辞めてからの進路だが…。


彼のいない夏の高校野球が開幕した。
優勝予想は、愛媛県代表今治西。
単勝10000円。
根拠は全く無し。  

Posted by foe1975818 at 00:03Comments(7)TrackBack(0)

July 16, 2007

せんせい

「巨人首位陥落」の大変喜ばしいニュースが流れてきたプロ野球界は、民放での放送が著しく減少している。
そんな状況下で、先日、貴重な東京ドームでの巨人VS阪神戦にありつけた。
ところが、解説が中畑清と川藤幸三の大ハズレ。
消音で観戦しようかとリモコンを握ったが、思わず手が止まった。
巨人の代打・亀井が無気力と捉えられても言い訳できない三振に終わった場面で、川藤が代打の心構えについて彼独特の甲高い声で喋り始めたのである。

「一回もバットを振らんでどないすんねん!思い切り振ったら気持ちが落ち着くんや!」

仰る通りである。
まずは振らなければ何も始まらない。
ましてや打つことのみを期待されて送り出された「代打」である。
それが凡打に終わったとしても、それは結果論。
振らずに棒立ちで三振に終わってベンチに帰るのは最も頂けない。
代打職一本で現役を全うした川藤だけに、その言葉には重みがある。

中学の野球部時代。
ボクたち世代初の練習試合に臨むことになり、ボクは1番打者として打席に入った。
ただの1打席ではなく、自分の打撃が通用するのか、そしてこの新チームの将来を左右する打席と言っても過言ではない。
バットを振ることなくフルカウントとなり、6球目。
思いっきり振った結果は、ファウル。
この時、凄くホッとした記憶がある。
緊張が解れ、思いっきり引っ叩いた次の打球は、ボクの野球人生で最長の飛距離をマークしたが、当時の箕面一中のライトはフェンスまで異常に距離があり、しかも相手チームの箕面四中のライトが異常に深い守備位置をとっていたので、フェンス際で見事に好捕されてしまった(相手の野球部監督は元箕面一中の監督だったため、ボクの打球癖を見抜いてライトに深い守備位置をとるように指示を出していたのだ!)。
アウトになりはしたが、これで自信がついたのは事実である。

川藤の言葉で、昔を少し思い出した。
たまにはいいことを言うじゃないか。

  続きを読む
Posted by foe1975818 at 23:10Comments(3)TrackBack(0)

June 24, 2007

気質

サッカーを観に行ったら、90分で決着がつかずに延長戦に突入した。
相撲の千秋楽を観に行ったら、魁皇と白鵬が1敗で並び、優勝決定戦に突入した。
井上陽水のコンサートに行ったら、その日だけゲストで奥田民生が現れ、2人で「ありがとう」を披露してくれた。
立体駐車場で5階まで満車状態だったのに、自分がゲートを潜った時に1階の1台分のスペースが空いて滑り込めた。

いずれも「運がいい」に分類される。
サッカーや相撲なら内容が伴わなければ時間の無駄に終わってしまうが、ライブはできるだけ長い時間体感できるに越したことはない。


「甲子園のチケットが入る。土曜のデーゲームやけど行けるか?」
金曜夜に友人Yからメールが届いた。
阪神VS日本ハム。
日本ハムは交流戦の優勝がかかっているため、絶対に負けられない。
対する阪神も大歓声が後押ししてくれる地元・甲子園で無様な試合は見せることはできない。
手に汗握る熱戦が期待できること請け合いである。
ただの野球好きで阪神ファンでも日本ハムファンでもなんでもないが、チケット入手困難の甲子園ならば行くに決まっている。
二つ返事で返信した。

肝心のチケットは、なんとバックネット裏の前から11段目。
しかも、無料での提供。
本来なら5000円は下らないぞ。
なんでもバックネット裏の年間シートを購入している友人Yの会社の先輩が仕事で観戦できないため、野球好きの我々に声を掛けていただいたワケだ。
なんとラッキーなのだ。
おしっこをちびるぐらいに感謝申し上げます。

試合開始は14時。
12時に到着した。
日本ハムの打撃練習の最中。
写真は、先日2000本安打を達成した田中幸雄選手のトスバッティング風景。トリッキーな髪型

さらに、謎の外国人と談笑する日本ハムのヒルマン監督。脚が長い
因みに日本ハムの4番セギノールは写メに収め切れないぐらいに馬鹿でかい。
ちょっとした化物だ。

程無く双方のチームの先発投手が発表された。
阪神は福原。
対する日本ハムはダルビッシュ。
おお!
なんとラッキーなのだ。
エース対決ではないか!(福原はエースとは認められんが)
これは緊迫した投手戦が期待できる。

試合開始。
日本ハムの切り込み隊長森本が1,2塁間を破るヒットで出塁し、4番の化物セギノールのレフトへのタイムリー2塁打で先制。
5番小谷野を迎えた福原。
そして福原が投じた球が、小谷野の鼻に直撃。
福原は危険球で退場。
信じられな〜い。
甲子園がどよめいた。
まだ20球も投げてないぞ!

小谷野は鼻にティッシュを詰めて試合に復帰。
頭部へのデッドボールなので、後遺症が心配される。
阪神は急遽、江草が登板。
準備もままならない緊急登板だったため、江草がこの後、乱れ打ちに遭い、日本ハムが3点先制。
逆に、阪神はよく3点で凌いだ。

ボクは阪神の負けを予言。
ダルビッシュ相手に初回から3点をプレゼントする阪神の大盤振る舞いぶりに虫唾が走った。
緊迫の試合展開を予想していたボクはガッカリ。

ところが、ダルビッシュが阪神に付き合ってしまった。
元来、立ち上がりが悪いが、この日は特に乱調。
3連打で先制されると、4番アニキこと金本が逆風を突いて右中間スタンドに逆転スリーランホームランを放った(そもそもセギノールの拙い守備が引き金となっている)。
甲子園は総立ちだ(ボクは着席したままやったけど)。

ダルビッシュはこの後も逆球のオンパレードで立ち直ったとは言い難かったが、阪神の湿った打線にも救われ、0を積み重ねた。
それでも球速は150km/hオーバーを連発。
投球数は100球を遥かにオーバーしていたというのに、恐るべきスタミナだ。

7回。
甲子園に風船が舞い上がる。飛ばす前に割るなよ

唾液が落ちてくることを危惧し、ボクは風船を膨らますことなくその瞬間だけさっさと避難した。

日本ハムは阪神を大きく上回るヒットを放ちながら、残塁の山を築く。
特に9回、ライト前ヒットで出塁した稲葉が盗塁死したシーンは不可解すぎる。
バッターは4番の化物セギノール。
仕掛けるにしろ、追い込まれてからでよいだろうに。
まだノーアウトだ。
サインなのか、独断なのか?
三振を喫した化物セギノールは、ベンチに帰る途中で怒りを顕にし、バットを叩き折った。
誰に対する怒りだろうか?
逆に、140km/h前半の球速で調子を掴み損ねていた藤川は完全に息を吹き返して、後続を断った。

4-4で試合は延長戦に突入。
これまたラッキー。
ダルビッシュが悪いなりにも9回を投げ切り、救援投手陣を温存して延長戦を迎えた日本ハム。
同点の場面でJFKをつぎ込み、「必死のパッチ」で延長戦に持ち込んだ阪神。
全く対照的な両チーム。
この構図が試合結果にそのまま反映された。

延長11回。
鼻にデッドボールを食らった日本ハムの小谷野が、JFK降板後の頼りない阪神中継ぎ陣を担う橋本から、レフトポール際へツーランホームランを放ち、勝ち越し。
後遺症もどこ吹く風だ。
日本ハムはこの2点を、満を持して登板した武田久と、守護神のマイケル中村がガッツリ守り、逃げ切り勝ち。
交流戦の優勝を決めた。

試合終了は17:30。
5時間半も甲子園に留まった。
ラッキーなことだらけ。
大いに堪能した。


ただ、腕と顔が激しい日焼けでヒリヒリして、まともに風呂に入れなかった。

  続きを読む
Posted by foe1975818 at 12:07Comments(7)TrackBack(0)

October 11, 2006

ふくし

オレ流落合監督が宙を舞った。
そして、泣いた。
一部新聞紙上では

「オレの目にも涙」

な〜んて巧い表現がなされていた。

シーズン前のえげつない練習量を浴びせた落合監督は、まさに鬼だった。
それに歯を食い縛ってついてきた選手たちの必死の形相を、落合監督はきちんと見ている。
そりゃあ涙も頷けるのである。

3年で2回の優勝は名将と呼ぶに相応しい。
昨シーズンの出来事ではあるが、中日が完膚なきまでに負けた試合があった。
投手がメッタ打ちに遭い、打線は沈黙。
試合後の落合監督のコメントが以下だ。

「今日の収穫は井端だけ。これで浮上してくるだろう」

この試合まで不調に喘いでいた井端。
だが、この試合の井端はノーヒットなのである。
何を言うてるんや?と余計な勘繰りを入れたら、まあ、何ということでしょう!
次の試合から魔法をかけられたかのように打つわ打つわ。

シーズン中、落合監督は敢えて素っ気無い態度でマスコミと向かい合っているのではないだろうか?
もちろんしょうもない質問を浴びせるマスコミは問題外だが、憎まれ役を監督が買うことによって選手が野球に集中できる。
途中から森野にレギュラーの座を奪われはしたが、立浪がプレーできているのも、そんなところが影響しているかもしれない。
マスコミのみならず、小言のうるさい中日OB連中にも口出しさせていない可能性もある。


さあ、ボクがシーズン前に行ったセ・リーグ順位予想だが→予想

Bクラスはバッチリである。
しかし、ヤクルトを買いかぶって置き場所を誤った。
ラロッカの故障はもとより、投手陣にまで及んだのは誤算だった。

阪神は今岡。
井川と久保田の不調はある程度計算に入っていたので驚くに値しないが、それをカバーして余りある獅子奮迅の活躍を見せたのが藤川球児である。
ボクは見縊っていた。
去年、記録を破るほどの登板をし、さらには二段モーションの規制の呷りを受けてフォーム変更を余儀なくされた彼が、今年も、いや、打者のバットに掠らせることさえ許さなかった去年以上のボールの伸びを披露するとは思いだにしなかった。
しかし、延長戦の3イニングを放らされた影響などが出て、後半戦の一番大事なところで遂にパンクした。
あれは岡田監督の采配ミスだと断固として糾弾したいところだが、阪神がなまじっか強くなってしまったがためにファンの目が鬱陶しいまでに厳しくなった。
そのため「捨てゲーム」を作れず、選手に無理を強いてしまわなければならないのは痛い。
昔の巨人化である。

その巨人は、案の如く怪我人続出。
野球以前の問題である。
あれだけいい選手がウヨウヨおるのにね。

怪我と言えば、横浜の多村。
ホント怪我が多い。
その陰で吉村という活きの良い若手が頭角を現してきた。
後は、先発ピッチャーだ。

これは広島にも言える。
FA行使が囁かれているエース黒田は何処へ?


一体、ボクは何目線で物を言うとるんやろか?

まだ昨日の酒が残っとるな。  
Posted by foe1975818 at 15:45Comments(4)TrackBack(0)

June 29, 2006

マスオさん

ブログ内ではよしゆきロビンソンと軽々しく名乗ってはいるものの、実際、そんな名で呼ばれたことは一切ない。
だいたいが苗字か、下の名で呼ばれる。
子供のころ、親戚には「よっちゃん」。
その後、ええ年ぶっこいて「よっちゃん」はいかがなものか?とクレームが勃発し、「よっさん」になった(大して変わらんが)。
中学時代の友人らには「ロイ」「ロイ君」と呼ばれている。
元々ボクは「エロイ」「エロイ君」と呼ばれていた。
今の紳士的なボクからでは想像もつかないかもしれないが、当時のボクは「エロ」かったからである(反論は真摯に受け止めます)。
しかしながら友人がボクの家に遊びにきて「エロイ君」と呼んだら、母親にどんな目で見られるか分からないし、逆に「エロイ君」と呼ぶのも恥ずかしいということで、誰かしらが「エロイ君」の「エ」を省こうとの声が学校内にまで広がり(大袈裟やな)、めでたく「ロイ君」が誕生した。

時代を反映したあだ名を付けられた友人は、どの学校にもいたはずである。
ボクの古くの友人、山田。
「山」は音読みで「さん」と読めることから、小学生時代は「さんちゃん」と呼ばれていた。
「山田」という苗字ではごくごくありがちである。
ところが中学生になり、ボクによって「サンチェ」と呼ばれ始め、浸透した。
「サンチェ」とは、当時、水虫が原因で退団したと噂される巨人の助っ人外国人投手「サンチェ」から何の捻りもなく頂き、ボクが余りにもしつこく呼ぶので「サンチェ」もそれを半ば諦め顔で受け入れた。
因みに元祖サンチェは昨年の2月、脳溢血のため52歳で亡くなったらしい。

小学5年か6年生のとき、バース、掛布、岡田の阪神タイガースが何十年振りかに優勝した。
学校中は阪神、阪神と気が狂ったように大騒ぎ。
巨人ファンは隠れキリシタンのようにひっそりと生活をしていたものだ(ボクはどこファンでもなかった)。
そんな阪神大フィーバーの最中、関東地方から大阪ではクソ珍しい大洋ホエルーズ(現・横浜ベイスターズ)の帽子を被った転校生が現れた。
彼にはあだ名が付けられ、すぐにボクたちと打ち解けた。
そのあだ名は

「ポンセ」

当時、大洋ホエルーズで走攻守にわたって大活躍していた助っ人外国人選手である。
「大洋の帽子を被っていたから」という安直な理由のみである。
もちろんポンセ君は大洋ホエルーズファンであり、このあだ名を痛く気に入った。
10年程前の同窓会でも「ポンセ」と呼ばれ、話題の中心だった。

で、彼の苗字が思い出せない最近のロイ君である。  
Posted by foe1975818 at 13:23Comments(14)TrackBack(0)